かんづめステップ

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2つの時代を結ぶ中心点へ…『いだてん~東京オリムピック噺~』

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NHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』より

 

久しぶりに大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』の話題です。
世間的には低視聴率だということだけが語り草になっちゃってる気がしますが…

mantan-web.jp

先週10月13日(日)の放送も、ラクビーW杯 世紀の日本戦の真裏とあって苦戦を強いられ、最低視聴率を更新する格好になってしまいました。
しかし、そんな回がこの1年間に渡る『いだてん』において、とても大事な回だったことを伝えたい!

と言うことで、『いだてん』 第39回「懐かしの満州」をこれまでの展開も交えて語っていきます。

 

金栗と志ん生の邂逅から8ヶ月─

potara.hatenablog.com

このブログで『いだてん』について取り上げるのは、2月のこの記事以来です。まだ金栗四三ストックホルム五輪に出場する前。金栗と、志ん生こと美濃部孝蔵が人力車を引き落語「富久」を諳んじながら「お江戸日本橋」ですれ違った回を軸に思いを綴った記事でした。

ちなみに…ブログでは2月以来ですが、ツイッターの方はほぼ毎回なにかしら呟いてました。min.tにまとめてあるので、良ければどうぞ→『いだてん』個人的感想ツイートまとめ

 

2月時分とここ最近の展開を思うと「はるばる遠くまでやって来たなあ」と感じます。
いくつものオリンピックを経て、苦難を乗り越え、主役が交代し、時代も変り…

そんな2月時分から一貫して物語に通底していたのが、五りんの父は誰なのか父が遺した「志ん生の『富久』は絶品」という手紙の意味とは…という縦軸でした。先の2月の記事でも言及してきたこの謎の全容が明かされたのが先週の放送でした。

 

 

2つの時代を描いてきた『いだてん』

2月の記事とちょっと内容が重複しますが、ここで改めて『いだてん』の物語構成を。

 

東京オリンピックの開催を控えた1961年、落語家・古今亭志ん生(ビートたけし山本未來)の噺(語り)という形で、1912年ストックホルムオリンピックへの日本人初出場から1964年の東京オリンピック招致にかけての日本とオリンピックの歴史を、日本人初のオリンピック選手・金栗四三(中村勘九郎)と、東京オリンピック招致の立役者・田畑政治(阿部サダヲ)の2人を軸に描いていきます。

物語は、この日本オリンピックの歴史を順に描きながら(本編パート)、時にそれらを俯瞰する1961年パートという2つの時代を頻繁に行き来ながら描かれていく。従来の大河ドラマ視聴者の嗜好とは異なる趣向が視聴率が奮わない一因かな、と思われます。
正直、真剣に見ていてもたまに混乱しますからね…笑。 

 

そして1961年パートに登場するのが、志ん生のもとに弟子入りした五りん(神木隆之介)

形見である志ん生の『富久』は絶品」と書かれた満州からの手紙を頼りに、志ん生を訪ねる。この時点では落語への思い入れがあるワケでもないけれど、オリンピックには人一倍関心を示し、金栗四三と同じく朝起きて冷水浴する習慣を持っていた。
あちらこちらで本編パートとの繋がりを示唆し続け、この2つの時代を行き来するドラマ構成を象徴するキーパーソンでもありました。

これまでも、五りんをめぐる謎は物語の節目節目で少しずつ紐解かれてきましたが、核心に迫ったのが前回…第38回「長いお別れ」。
金栗四三の弟子っ子としてオリンピック出場を目指していた小松勝(仲野太賀)こそが父親だと明かされました。つまり冷水浴も金栗から代々受け継がれていた、と。
そして同時にタイトルが指し示す、長いお別れが待ってました。まだ幼い息子(のちの五りん)を残しての学徒出陣。1943年のことでした─。

 

 

「芝まで走ったら どぎゃんですか?」

小松が配属されたのは満州。そこで出会ったのが、兵士らへの慰問興行で同じく満州を巡っていた志ん生だった。
やがて終戦を迎えるも、敗戦国・日本に厳しい目が向けられ、満州ではより緊迫した情勢のなかを過ごしていた。そんな時に開かれた志ん生らによる二人会(寄席)。 

 

小松が志ん生にリクエストしたのは「富久」。そして、こう付け加えた…
「芝まで走ったら どぎゃんですか?」「走っとりました毎日毎日。芝から浅草。浅草から芝」

 

点と点、過去と未来が繋がり、ハッとさせられるセリフだった。
2つの時代を描いてきて、段々と本編パートが1961年パートに追いつこうとしている中心点で、過去と未来どちらにも繋がっていく一本の糸が結ばれる「種」が蒔かれた瞬間に触れたような。
ここまで見てきたからこそ、壮大だけどそれでいてささやかな興奮のシーンでした。

 

志ん生の新たな「富久」に、小松勝はそこに金栗四三の勇姿を見、金栗四三あるいは視聴者はそこに小松勝が生きた証を見るだろう、田畑政治は古典に手を加えた志ん生を好かんと言うだろう─。

志ん生の『富久』は絶品」。その手紙を遺し、小松勝は満州で帰らぬ人に…。

 

 

史料から編み出されるストーリー

志ん生が従来の「富久」に手を加え、幇間が走る距離を伸ばしたことは1961年パートで田畑政治が言及されていたし、なにより事実です。Wikipediaにある「富久」の項目にもきちんと記載されています。
その「富久」を、金栗四三の練習コースと結びつけて、ここに帰結させる構成は見事というほかない。 

 

今年1月、『いだてん』の放送スタートに合わせて、キャスト・スタッフ陣が意気込みを語った『50ボイス』で、脚本の宮藤官九郎がはじめて実在の人物をテーマに描き、史料の多さに四苦八苦していると語っていました。
一見すると戦国時代や幕末を描く方が時代考証が大変そうだけど、考えてみれば当たり前の話なのですが、近現代の方がより膨大かつ濃密な史料が残っていて、時代考証は難航を極める。
いずれとも齟齬が出ないよう、負の歴史もきちんと盛り込み、でもただ史実を追うだけではないストーリーを紡ぎ出していく

「芝まで走ったら どぎゃんですか?」には、その集大成が宿っている気がしました。

ちなみに…この記事では端的に「志ん生による『富久』の改変は事実だった」ことだけ着目して書きましたが、このクライマックスを描いていくために整合性を図った史料の量を想像するだけで気が遠くなりそう。

 

 

物語は最終章へ


「いだてん」最終章スタート!いよいよ1964年 東京オリンピックへ【5分PR】 | NHK

「日本が飛びっ切りの貧乏だ!みんなでそろって上向いてはい上がっていきゃいいんだからわけねえや!」
志ん生が、満州を地を去り日本で家族との再会を果たし叫んだこの言葉とともに、ついに『いだてん』最終章へと突入です。

 

戦争によって不条理に阻まれてきたオリンピック招致の夢、選手の夢…。
焼け野原の東京でいま、再び起ち上がる。

栄光の1964年、東京オリンピックに向けていよいよ大一番が幕を開けます
今一度、是非とも盛り上がってほしいところだけど、視聴率的には正直もう厳しいかな。
でも、そんな事なく関係なく最後まで熱く楽しんでいきたいじゃんね!