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"10話"と"11人"で紐解く『いだてん~東京オリムピック噺~』

もうひとつ、書き残していた昨年の話題を。

 

NHK大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』
かねてから熱望していた宮藤官九郎脚本による大河ドラマ。2019年は、とにかく『いだてん』に熱中させてもらった1年だった。

 

東京オリンピックを翌年に控えたタイミングで「日本とオリンピックの歴史を描く」となると正直、もっと賛同一辺倒の内容になっていてもおかしくなかった所を、近現代史の負の側面にもバランス感を持ってしっかり踏み込んで描いていくという、素晴らしい作品だった。もちろんコメディ要素もふんだんに織り交ぜながら、ここまで骨太なドラマに仕上がるとは初報時点では思いもしなかった境地です。

 

本当は昨年のうちに『いだてん』総括記事を書いておきたかったのですが。
この長大な物語をどうまとめたらいいのか、自分の筆力や考察力では分からず書きあぐねていたら年を越してしまいした。
…と言うことで全編を通して振り返るのではなく、割り切って…

全47回のなかから10のエピソード11人のキーパーソンに絞って『いだてん』を見ていきます。
そしてどうにか麒麟がくる前には投稿することができました…笑。

 

www.nhk.or.jp

 

"10話"と"11人"で紐解く『いだてん』

第1回「夜明け前」 1月6日放送

記念すべき第1回
ここから宮藤官九郎による大河ドラマが幕開けるんだ…と、この先1年にわたる期待に胸が高鳴りましたね。

 

第1回は、ストックホルム五輪に出場する選手を発掘するために行われた羽田の予選会までを、主人公・金栗四三(中村勘九郎)ではなく嘉納治五郎(役所広司)の視点から描かれます。
そのため第2回以降とはすこし時間軸が異なりますし、1960年前後の古今亭志ん生(ビートたけし)の高座や自宅、また第1回のお披露目という意味もあって田畑政治(阿部サダヲ)の登場シーンも挿入されるなど、その後の『いだてん』ならではの構成を予期させるような時間軸の行ったり来たりが存分に盛り込まれています。
この時間軸の入り乱れ方こそクドカンってな感じですが、いっぽうで従来の大河ドラマ視聴者にとってはかなり面食らう構成だったのでしょう。視聴率としては大河ドラマ最低を更新し続けることになりました…苦笑。

 

このドラマで知った知識として、最初に驚いたのが嘉納治五郎の存在でした。
ぼんやり「柔道の父」ぐらいのイメージしか持っていなかったのですが、オリンピック、日本スポーツにこれほどまでに広範にわたって深く長く尽力し続けてこられた方だとは思いもよらなかった。
そして役所広司演じる嘉納治五郎は、創始者としての威厳も保ちながらもチャーミング。最期を迎えるその時まで「それって面白いの?」の精神で、明るい未来を貪欲に模索し続けた姿にいつも魅せられた。 

 

 

第6回「お江戸日本橋」 2月10日放送

第2回以降、金栗四三視点で故郷・熊本から物語が始まり、第1回で描かれた羽田の予選会まで時間軸が追いついた回。
ラソン世界新記録で予選会を勝ち抜きながらも、オリンピック出場という未知の挑戦にすくむ四三に対して、これから続く日本人選手たちのために「黎明の鐘となってくれるか」と鼓舞する嘉納治五郎の言葉に勇気づけられた

 

語り部たる古今亭志ん生こと若き日の美濃部孝蔵(森山未來)が、橘家圓喬(松尾スズキ)に弟子入りしたのもこの頃。
のちにドラマ全体を貫くテーマにも発展していく落語の「富久」を噺しながら人力車を引く孝蔵と、オリンピックに向け練習に勤しむ四三。目指す道は違えど、2人のスタートが日本橋で交錯していくシーンが鮮やかだった。
そして、とにかく森山未來演じる孝蔵がよかった!天賦の才を秘めながらも、生来の「飲む打つ買う」がたたってなかなか一本筋には行かない生き様に、不思議と艶っぽさを感じた。

 

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第11回「百年の孤独」 3月17日放送

1912年、いよいよ日本人が初めて出場したストックホルム五輪 本番。
だけど、ここでフィーチャーするのはマラソン金栗四三ではなく、あえて三島弥彦(生田斗真)が短距離種目に挑んだ回。
国内では負け知らず、「一度は負けてみたいよ」と豪語していた男の敗北。世界の壁を突き付けられ、「短距離走は日本人には100年かかっても無理」と言わしめた。

 

「テン!テン!グー!」と奇妙な踊りとともに登場した、天狗倶楽部の痛快男子・三島弥彦
時代に似合わぬウソみたいな集団も、ドラマの脚色ではなく実在したというから驚いた。三島家の御曹司でもあり、国際感覚に長け、日本人初のオリンピック出場を選手の立場からリードした。一方で、ストックホルム入りするとスランプに陥り四三と励まし合うなど、その盟友ぶりが頼もしかった。

 

そんな三島弥彦の挑戦、「100年は無理」という言葉から100年後にあたる現在。
来たる2020東京オリンピックでは、日本勢が短距離・個人種目でもメダルを狙えるのではないか…という気運が高まっている。このドラマが描いている時代が、まさしく現在と地続きで繋がっている近しい歴史なのだと実感させられる回だった。 

 

 

第18回「愛の夢」 5月12日放送

この記事で挙げている10のエピソードのなかでは比較的、地味な回かもしれません。
しかし、この回で描かれた展開をザッと書き出してみると…

孝蔵、東京に帰る。美川、播磨屋の四三宅の居候に。シマ、走り始める。辛作、足袋とシューズで葛藤。スヤ、上京。夢に見た結婚披露。スヤ、帰郷。スヤ、長男・正明を出産。二階堂トクヨと永井道明の対立。臀部がデーン。孝蔵、清さんに激励されながら再び東京を去る。神宮外苑競技場構想。130km駅伝対マラソン大会。四三、敗北するも完走。辛作、足袋の勝利。四三、日本各地1200km走破。8年ぶりオリンピック開催決定の報せ。

この量が、たった1回
それぞれに思い入れある展開が、45分間に詰め込まれ構成されていました。もともと1回あたりの展開は濃いドラマではありますが、この回は特に際立っていたなと強く印象に残っています。
…と言うことで、ここでは特筆しておきたい展開として2人を挙げます。

 

「シマ、走り始める」。
三島家の女中、のちに女学校で四三の同僚教師となるシマ(杉咲花)。四三や三島弥彦らと間近に接し、スポーツの魅力に引き込まれていく。まだまだ「女子がスポーツなんて…」というご時勢。ひと気のない静まり返った早朝、着物をたくし上げ息苦しい帯を振りほどき、ひとり走り始める彼女の姿はとても爽やかだった。
『いだてん』でも大きなテーマとして紡がれていく「女子スポーツ」の第一歩がここにある。

 

もうひとつが「辛作、足袋の勝利」。
四三の走りを文字通り、足元から支え続けた播磨屋の足袋職人・黒坂辛作(三宅弘城)。四三の走りに応じて新たなマラソン足袋を作り続け、時には職人として葛藤しながらも寄り添い続けた。130kmマラソンを走破した四三の足袋が破けていなかったことに「足袋の勝利だ」と喜びの声を上げ、今一度、彼の活躍にスポットが当たった回でもあった。
このシーンに、オンタイム視聴者としてどうしても感慨を寄せざるを得ないのが「ピエール瀧の降板」。代役に切り替わって間もないタイミングで訪れた見せ場に、寂しさとともに新たな辛作を見守りたいと思った。

 

 

第23回「大地」 6月16日放送

1923年9月1日、関東大震災─。
オリンピック、スポーツが主眼と言えど、この時代を描くということは当然、関東大震災の被害もしっかり描かれる。
宮藤官九郎が手掛けた朝ドラ『あまちゃん』では東日本大震災がひとつのテーマになっていたことも重なって見えてくる。それでいて、まだ被害も生々しかった2013年に放送された『あまちゃん』では言い切れなかったメッセージが込められているように感じた。

 

この関東大震災は、物語としても大きな核を抉ってくる。
シマが帰らぬ人になりました。
増野(柄本佑)と結婚し、娘・りくが生まれた矢先。のちにオリンピック選手となる人見絹枝(菅原小春)に、女子スポーツの先駆けになってほしいと手紙を託した矢先。バトンを次の代へと託すように。

 

そして、シマが五りん(神木隆之介)の祖母だと明かされたのもこの回だった。
父の素性を知りたいと志ん生にもとに弟子入りした五りん。父は誰なのか、遺された手紙「志ん生の『富久』は絶品」の意味とは。縦横無尽に展開されていく『いだてん』のなか、一本の縦軸として展開されてきた謎の一端が紐解かれた瞬間であり、同時に「…と言うことはこの赤ん坊・りくが母親になるのか」と考察の楽しさがさらに深まった瞬間でもあった。

 

地震の被害から立ち直ろうと開催されたのが、復興運動会。(第24回「種まく人」)
「スポーツってなに?」という時代から始まった物語が、こうしてスポーツの力で人々に活力を与えているという時代へと変化していたことが嬉しく、『いだてん』第1部完結のシーンとして素敵だった。

 

 

第25回「時代は変る」 6月30日放送

第2部開幕。時代は昭和に突入し、主人公は田畑政治へ。

 

この田畑の登場によって、第1部で築かれてきた日本スポーツの礎が、さらに次の時代に相応しい価値観へとアップデートされていく。その信念に揺るぎはなく、四三を「ジジイ」、嘉納治五郎を「老害」と吐き捨てることも厭わない。まあ、この頃は若さゆえと言うか、2人ともまだ距離があっての発言で、のちに先駆者たる2人に敬意を示しバトンを受け継ぐ形になっていくのが心憎い。

 

そんな田畑政治、最初の功績として鮮烈に描かれたのが資金調達。
これまで日本スポーツ発展のため、つねに悩まされてきた資金難。オリンピック渡航費、選手育成…。嘉納治五郎の借金自慢も何度聞いたことか。

 

長年の課題を一気に解決してみせたのが、高橋是清(萩原健一)への直談判!
「クチが韋駄天」と言わしめた田畑が、その弁舌で時の大蔵大臣の考えすら揺さぶっていくサマは痛快そのものだった。
しかし、この時の言葉が回り回って、幻に終わった1940東京五輪、そして1964東京五輪に対しても重い影となって伸し掛かってくるのだから皮肉的。

 

 

第29回「夢のカリフォルニア」 8月4日放送

1932年、ロサンゼルス五輪。
田畑が水泳総監督として、初めて現地に赴いたオリンピック。選手村が初めて導入された大会でもあり、国籍分け隔てなく交流しあう光景に、1964年の東京五輪の準備段階においても手本にしたいと挙げた夢舞台。

 

田畑の「一種目も失うな」という旗印のもと、日本水泳はメダルラッシュ
その影には去る者もあり。前回大会アムステルダム五輪のメダリスト・高石勝男(斎藤工)戦力外通告を受け、葛藤にもがき苦しみながらも、「一種目も失うな」に秘めた田畑の思いを知り、「ノンプレイング・キャプテン」としてチームを率いていく。高石を継ぐ形で出場した宮崎康二(西山潤)が金メダルを獲得し、「ありがとう」と抱擁しあうシーンは堪らなく格好よかった。(第30回「黄金狂時代」)

 

日本選手の活躍に勇気づけられたのが日系アメリカ人の人々。
肩身の狭い思いをしてきて冷めていたナオミ(織田梨沙)も、次第に表情を柔らかくしていく。日本選手団が帰国の途につく際に、思いの丈を叫んだ喜びの声が耳に残る。しかしなんだか、この喜びがこの先の戦争へも繋がっているような気がして示唆的でもあった。(第31回「トップ・オブ・ザ・ワールド」)

 

 

第36回「前畑がんばれ」 9月22日放送

1936年、ベルリン五輪
戦時中、ヒトラーによる統治のもと開催されたオリンピック。ナチスドイツの国威を誇示せんと設けられた荘厳なスタジアムや一糸乱れぬ開会式に魅了されるも、どこか不穏な空気がオリンピックを覆っていた。

 

このセンシティブな時代を、たんに批判的に描写していくだけではないバランス感覚が絶妙だった。
特に「ハイル・ヒトラー」のポーズを面白がって真似るのが日本選手団のうちでも流行っていたくだりは、当時の人々のリアルな感情という気がして、逆に怖さが伝わってくる思いがした。(第35回「民族の祭典」)

 

そして伝説の「前畑がんばれ」。
前回大会ロス五輪での銀メダルから4年、日本中の批判に晒され、そして日本中の期待を飲み込んで雪辱を誓う前畑秀子(上白石萌歌)の挑戦。「前畑がんばれ」と連呼する実況が語り草となって今なお伝わってくる日本オリンピック有数の名場面が、実際どのような時代背景のなかで生まれたものだったのか、その一端を目撃するような興奮を覚えた
なによりこの大役を射止め、演じきった上白石萌歌が白眉だった。

 

 

第39回「懐かしの満州」 10月13日放送

五りんの父はどんな人だったのか、「志ん生の『富久』は絶品」の意味とは…その縦軸がいよいよ紐解かれた回

 

その人こそ、小松勝(仲野太賀)
金栗四三の弟子で、オリンピック出場を目指していたマラソン選手。シマの娘・りく(杉咲花)と結ばれ、一人息子・金治(のちの五りん)を授かる。しかし戦火は激しさを増し、1943年に召集され満州の地へ。終戦後もなかなか帰国は叶わず、そこで出会ったのが慰問に訪れていた古今亭志ん生こと孝蔵だった。

孝蔵の演じる「富久」に金栗四三の勇姿を重ね合わせ、望郷する小松の最期が切なかった。

 

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最終回「時間よ止まれ」 12月15日放送

ついに1964年10月10日、東京オリンピック開会式

 

戦争を乗り越え、焼け野原となった日本から立ち直り、そしてなお事務総長として波乱万丈の戦いをこなしてきた田畑政治
その苦難がすべて報われていくような高揚感と多幸感にあふれた開会式に、こちらまで涙腺を緩ませながら観ていた。

 

そして『いだてん』最後を飾ったのが、ストックホルム五輪55周年を祝した式典。
ストックホルム五輪初出場から55年を迎えた1967年、金栗四三のもとに届いた招待状。マラソン中に日射病で意識を失い、記録上はまだゴールも棄権もされていなかった四三は、この式典のなかでゴールテープを切る。
タイムは「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」。

 

この逸話は、『いだてん』が始まった頃に関連書籍を読んで知っていました。でも、最終回の「いだてん紀行」で紹介されるかな、ぐらいに捉えていました。まさかドラマ本編の最後を飾る構成になるとは思いもよらなかった。

 

まさしく「時間よ止まれ」
日本がオリンピックを目指したあの日から「時」が刻まれ、長い長い物語を経て、ひとつの「マラソン」へと収斂していく。これ以外には考えられない最高のエンディングでした。

 

『いだてん』、1年間ありがとう─!

 

 

「復活」を信じて

…と言うことで1年間、最高に楽しませてもらった『いだてん』でしたが。
前述の通り、視聴率的にはなかなか振るわず、苦戦を強いられていました。
大河ドラマとして新しいチャレンジに溢れた作品だっただけに、逆風も避けられなかったのかもしれません。

 

そこで思い出されるのが2004年の大河ドラマ新選組!』。
三谷幸喜が初めて大河ドラマを手掛け、コメディ色も交えた大河ドラマとしても新風を吹かせました。ただ当時としては視聴率が芳しくなく、賛否分かれた作品だったとも評されています。
しかし、ふたたび執筆した大河ドラマ真田丸』は、名実ともに高い評価へと漕ぎ着けました。三谷作品の持ち味を保ちながらも、大河ドラマとして映える作品を作り上げた。

 

このリベンジを、ぜひ宮藤官九郎大河ドラマでも実現してほしい!
今はまだ『いだてん』が一段落したばかり。「次の大河ドラマ」がいつどんな形にあるのか分からないけど、そんな日が来ることを願います。

 

 

www6.nhk.or.jp

ちなみに三谷さんは『真田丸』を経て、はやくも3作目の大河ドラマ執筆が決定!
こちらもまた、近年の大河ドラマにはなかった時代設定とテーマで、どのように描かれていくのか楽しみは増すばかり。大河ドラマっていいですね! 

 

 

NHK大河ドラマ「いだてん」完全シナリオ集 第2部

NHK大河ドラマ「いだてん」完全シナリオ集 第2部